"手控え"の極秘文書持ち出しは、公文書保存貧弱国・日本で非難されるべきことなのか?

東京地検特捜部の「極秘」資料「取調結果の概要」(1976年9月7日付)=一部画像加工
今世紀に入って間もないころ、吉永さんから元NHK記者の小俣一平さんに託された資料は、段ボール箱20箱分ほどある。その中身はすべて、吉永氏個人の"手控え"の資料だったと思われる。
ロッキード社から5億円を受領したとして田中角栄前首相を1976年に逮捕した後、吉永さんは、東京地検の特捜部長、次席検事、最高検公判部長、東京高検検事長、検事総長を歴任し、その間、ロッキード事件の公判維持や補充捜査を指揮する検察部内のライン上の地位にあった。吉永さんは、下から報告を受けるだけでなく、捜査当時以来の”手控え”の資料を参照して、みずから方針を考え、指揮にあたっていたようだ。1993年12月に田中元首相が亡くなり、95年2月に田中元首相の秘書官らの有罪判決が最高裁で確定し、ロッキード事件の裁判が終わったとき、吉永さんは、検察トップの検事総長だった。
吉永さんは1996年に退官し、東京都港区内に弁護士事務所をかまえた。小俣さんによれば、近隣のビル内を含め、吉永さんの法律事務所には大きな書庫があり、そこに、ロッキード事件に関する資料があったという。
後年、小俣さんが事務所に吉永さんを訪ねると、口癖のように言われる言葉があった。
小俣くん、もうロッキードなんて、みんな忘れとるだろうなぁ
小俣さんの顔を見るたびに、「ロッキードは忘れられる」と心配する吉永さん。いつも、「そんなことないですよ」と返事する小俣さん。
あるとき、小俣さんは「じゃあ、ぼくがロッキードのこと調べて書きましょうか」と提案した。すると、吉永さんは「おお、そうしてくれるか」と喜び、「ここに資料があるから、好きなだけ持ってっていいから」と資料提供を申し出たという。
小俣さんの分析によれば、吉永さんにとって、ロッキード事件の捜査と公判をやり遂げたことは、誇りであり、財産だった。だからこそ、その捜査の舞台裏を、フィクションを一切交えず、きちんとしたノンフィクションで書き残してほしかったのだろう。
小俣さんは2006年、「坂上遼」の筆名で、月刊誌『現代』の同年3月号から9月にかけて「ドキュメント ロッキード秘録 吉永祐介とその時代」を連載した。翌2007年、連載は単行本『ロッキード秘録 吉永祐介と四十七人の特捜検事たち』となって、講談社から出版された。
のちに総理大臣となる竹下登氏が、ロッキードから全日空に提供された裏金から闇献金を受け取っており、それを東京地検特捜部の1976年夏の事情聴取に認めていたことは、このとき初めて明るみの下に出された。

のちに首相となる竹下登・建設相を取り調べた結果の概要を伝える特捜部の「極秘」資料「取調結果の概要」(1976年9月7日付)
このようにして吉永さんの文書群が日本の報道界にもたらされた経緯について、朝日新聞は2026年7月27日、小俣さんへの取材にもとづき、記事として発信した。

asahi.com/articles/ASV7Q…
ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されてから27日で50年です。捜査資料を託されたルポライターが極秘とされてきた資料を朝日新聞の取材に示し、経緯を明かしました。
この記事のために、私は、7月13日、朝日新聞の沢伸也編集委員のインタビューを受けた。
2010年ごろ、朝日新聞記者だった村山治さんと私は、小俣さんの厚意で、ロッキード事件の検証取材のため、この資料をお借りしたことがあり、この資料の貴重さをよく知っていた。そして、この資料にはもはや、“秘密”として保護されるべき内容がほとんど含まれておらず、他方、世の中に公開されるべき内容が多数含まれていることを知っていた。この資料の由緒がきちんと世の中に明らかにされておくことは、後世の研究者やジャーナリストにとって、この資料を利用する際にとても大切なことだとも、私は思っていた。
私は沢編集委員のインタビューに次のように答えた。
米国では事件の公文書をきちんと残し、今、その秘密解除が進みつつあるのに対し、日本に残る公文書は質も量も劣り、しかも利用しづらい実情があります。米国ではロッキード事件の刑事訴訟記録を簡単にコピーできるのに、日本では未だ閲覧さえできません。
そんななかで吉永氏の残した資料は、捜査の経過とその現場の空気を生々しく伝え、しかも、知られざる新事実を含む第一級の史料です。後に首相になった竹下登氏が裏金を受け取り、特捜部の事情聴取にそれを認めていたことは、この資料で判明しました。
竹下氏がロッキード社から全日空に来た裏金を受け取っていたという事実は、本来、1970年代に公表されてしかるべきことがらだった。もしそうなっていたら、1980年代の日本政治は、実際とはかなり異なるものとなっていただろう。
竹下氏は、中曽根康弘首相の下で1982年11月から86年7月まで蔵相を務め、1985年9月の「プラザ合意」の下での円高ドル安の為替誘導の立役者となり、さらに、87年11月に中曽根氏の後任の総理大臣となり、89年6月まで務めた。ちなみに中曽根氏は、ロッキード事件が発覚して間もない1976年2月に、政府・自民党の表向きの方針とは異なり、事件を「MOMIKESU」ようにとアメリカ政府に秘密裏に依頼したが、これも長年にわたってアメリカ政府に握られたままその秘密とされており、2008年まで、アメリカ政府による秘密指定は解除されなかった(拙稿「アメリカの”虎の尾”を恐れる政治家」)。こんなふうに、アメリカ政府に秘密を握られた状態が継続するというのは、日本の国益を毀損しかねないと私は思う。
公判に提出されなかった元首相秘書官の供述調書
ここまでの経緯とはまったく別に、毎日新聞はことし1月1日、田中首相がロッキード社から受け取った5億円の使途先に関連して、秘書官だった榎本敏夫氏が東京地検特捜部の取り調べの際に作成した一覧表を入手した、と報じた。
7月14日、私は、毎日新聞社会部の安達恒太郎記者の取材を受けた際に、この特ダネの評価を問われ、「歴史の史料を明らかにした意義ある記事だ」と答え、次のように続けた。
あの供述調書を読めば、やっぱり田中さんにロッキードから5億円が渡ったんだということが、さらによく分かる。やっぱりそうだったんだ、と思える。榎本さんがあそこまで語っていて、ああいう表を作っているっていうのは、迫真性があります。
もう50年たつので、歴史の史料として、あの供述調書が出てきたっていうのは、変な陰謀論を排する意味でも、あるいは、ちゃんと歴史を知るという意味でも、とても意義のあることだと思います。
7月29日、毎日新聞は、私へのインタビューに基づく記事を朝刊の第3社会面に掲載した。記事には、榎本元秘書官の検事調書の抜粋が添えられた。
毎日新聞は1月、田中角栄元首相に渡った5億円に上る賄賂に関し、榎本敏夫元秘書が東京地検特捜部の取り調べに対して作成した「使途」の一覧表や、供述調書の存在を新たに報じた。
日本では捜査資料は公判で明らかにされなければ「秘密」のままとなることがほとんどだ。
毎日新聞は関係者を通じて新資料を確認したが、歴史の検証という目的は公文書に基づいた調査報道と共通する。
この榎本元秘書官の供述調書についても、そのすべてが田中元首相らを裁く公判廷に1980年代に提出され、国民の前に公開されるべきだった、と私は思う。

田中角栄首相の秘書官だった榎本敏夫氏の供述調書(1976年8月12日付)の一部=2026年7月1日、東京都千代田区紀尾井町の文藝春秋本社で、奥山撮影
検察としては、被告人となっていない自民党の数多の国会議員と余計な“泥仕合”となるのを回避するため、といった事情があったのだろうが、そうであっても、1995年に刑事裁判がすべて終わったときに、公開されておくべきだった、と私は思う。
2026年まで遅れたとはいえ、この榎本調書の全体が公にされたことは、日本にとって良いことだったと私は思う。

榎本元秘書官の供述調書に添付された一覧表「49・7・7参院選及び49・4・21参院補選に際しての政治活動費届け先等一覧表」=2026年7月1日、東京都千代田区紀尾井町の文藝春秋本社で奥山撮影、一部画像加工
橋下元大阪市長からの批判
ところが、毎日新聞記事にある「関係者を通じて新資料を確認した」との記述をとらえて、元大阪市長の橋下徹弁護士は7月29日朝、次のようにXに投稿した。
関係者って、朝日新聞が取材源を大暴露した吉永元検事総長やろ。
この榎本元秘書官の供述調書の情報源について、私や朝日新聞の取材班にとっては、吉永元検事総長から元NHK記者の小俣一平さんにもたらされた文書群であることは、7月27日に朝日新聞が公開した動画で描かれている通りだ。
こうした朝日新聞の報道を受けて、橋下氏は、毎日新聞の情報源を吉永さんの文書だと思ったのだろう。しかし、私見によれば、毎日新聞の記事の情報源は、吉永さんの文書群ではなかった、ように思われる。
橋下氏は、このX投稿に続けて、「資料持ち出し検察官・官僚や情報漏洩官僚を摘発しろ」と呼びかけた。
吉永さんは、検察官を退任する際、極秘の捜査資料のコピーを持ち出し、自分が開業した弁護士事務所に保管。
こんなの大スキャンダルやろ。
検察官や官僚たちは民間人になる際、極秘資料を持つ出すことが常態化してるのか?
「個人メモ」「手控え」を許す日本の公文書管理法制
吉永さんの文書群は、吉永さんの私物として管理されていた。そうした実情が日本の官公庁で広く見られるのは、橋下氏の指摘する通りだ。私見によれば、それらは違法ではなく、現行法制下では、適法であり、当たり前に見受けられる光景だ。したがって、「大スキャンダル」などという代物ではない。
なぜならば、東京・霞が関の中央官庁では、たとえ公務の過程で作成された文書であっても、「行政機関の職員が組織的に用いるもの」という要件を満たさなければ、それは「行政文書」ではなく、「公文書」でもない“個人文書”として扱われる現実があるからだ。
すなわち、公文書管理法と情報公開法は、「行政文書」について次のように定義している。
「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。
この結果、行政機関の職員が職務上作成または取得した文書であっても、「組織的に用いるもの」でなく、「個人メモ」や「手控え」といった形で職員個人によって管理されている文書が大量に存在する。そして、それら“個人文書”にこそ、その行政機関における意思決定の本当の機微が表れていることが多い。にもかかわらず、それらは、公文書管理法の規制に服さず、情報公開法の義務の対象にもならない。というより、そうした抜け穴を用意しておくため、敢えて「行政文書」の定義を絞り込んでいる側面があるように私には思える。
こうした法制度の不備・欠陥については、かねて問題視されてきており、私自身、それを批判してきた(「公文書管理、改革すべき4点」朝日新聞2018年6月22日)。2018年に、財務省による公文書改ざんが発覚し、公文書管理のあり方について、”個人文書”についても議論が盛り上がったが、それでも、改正は実現しなかった(「公文書対策、課題は手付かず 不十分な監督・「個人メモ」化…」朝日新聞2018年7月21日)。
この結果、日本では、たとえば、高市早苗首相のXアカウントの発信は、公文書として扱わない、というような不合理な事態が生じている(杉山あかり「首相X 記録ルールの対象外 個人で運用 行政文書に該当せず」朝日新聞朝刊4頁、2026年7月7日)。この点で、たとえばアメリカの公文書管理と日本はまったく異なる。アメリカでは、「職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」という要件がなく、公務に関連して取得・作成された文書を「記録」として公的管理の対象にしている。
アメリカと異なり、日本の公文書管理法制は、「組織的に用いるものではない文書」については、何らの規制も定めていない。職員が役所を辞める際、その職員個人が管理する文書は、場合によって、廃棄されたり、自宅に持ち帰られたりすることになる。その職員の死後、遺族によって古書店にたたき売られる文書もあるようだ。
吉永さんが退官した1996年当時は、公文書管理法も情報公開法も制定されていなかった時代だから、なおさら、“個人文書”の扱いはあいまいだったのだろう。おそらく、吉永さん個人が管理してきた文書は当然のごとく、吉永さんの法律事務所に送られたのだろう。それは違法行為ではなく、法令の隙間で必然的に起きる状況だった。そうなることが予定されていたともいえる。
そういうなかで、吉永さんが貴重な文書を廃棄するのではなく、信頼のおけるジャーナリストに託したのは、賢明な選択であり、私は、1ジャーナリストとして、1研究者として、それに感謝したいと思う。
実質的にも秘密として守られるに値する内容か
このように、公務員在職中に使用していた個人文書を職場外に持ち出すことが適法だとしても、その文書を第三者に渡すことに、守秘義務違反の問題があるのではないか、という指摘はあり得る。
たしかに、国家公務員法100条は、国家公務員の守秘義務を定めている。
職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。
しかし、ここで「漏らしてはならない」と定められている「秘密」というのは、最高裁判例により次のような解釈が定まっている。
実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものをいい、国家機関が単にある事項につき形式的に秘扱の指定をしただけでは足りない。
つまり、「極秘」のスタンプが押されていたとしても、また、世の中に知られていない一般的な意味での秘密であったとしても、それだけで、法律上の守秘義務の対象の「秘密」となるわけではない。「実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるもの」でなければならない。
そして、少なくとも、朝日新聞や毎日新聞、このニュースレターで公開されている内容に、ここで定義される「秘密」に該当するものはない。秘密として扱うのではなく、むしろ、広く公開されるべき内容である。
ロッキード事件が発覚して間もないころ、政府・自民党のトップの座にあった三木武夫首相は、ロッキード事件の真相を徹底解明して、国民の前に明らかにすると約束していた。その約束がようやく果たされたととらえるべきだと私は思う。
さらにいえば、時の経過も「秘密」性の程度の判断にあたって重要である。時の経過とともに、個人の利益が侵害される危険性は小さくなる。田中元首相が逮捕されて50年、田中元首相が亡くなって33年弱、吉永さんが亡くなって13年余が経過し、公開によって生じる現実の弊害は皆無に近くなっているのではないか。
もし仮に、橋下氏の主張するように、吉永さんのような行為を咎めるのならば、こうした文書は今後、従来以上に闇から闇へと葬られるようになり、歴史の検証の下に置かれることがなくなってしまうだろう。それによって損害を被るのは、日本の史料によって紡がれるべき日本の歴史であり、日本の国民である。



